デコボコ君とその母の日常

発達障害のある息子と日常と葛藤、母語録

毒親の連絡帳

私の保育園の時の連絡帳を家を建て替える前だったか、子供が産まれる前、里帰りしてた時だったか、忘れたが、これ見て子育て頑張ってねと母がくれた。

 

今、毎日私は、連絡帳で息子の園の先生とやりとりをしている。

 

当時は、母の連絡帳を見ても何も思わなかったし、私はこんな子だったんだという感じだったけど、今、見ると感じ方が変わってた。

 

母は、私の出来ないことに対する文句や、不満をたらたらと書いてあった。

 

先生から、子供はこういう風に感じてて、こうかかわったらいいんじゃないか?というアドバイスも、次の日には、そうですねみたいな感じでさらっとかわし、反省することもなく、新たな文句を書いている。

 

明らか毒親パターン。

出来ないことを叱る、子供を思い通りにしようとする、子供を褒めようとしない。当時は、母もまだ若かっただろうし、挙げ句、子供を祖母に預け働きに出かけた。小学生になった頃、妹は保育園、母は仕事。帰宅後私はほとんど1人で過ごした。ゲームが友達。両親が遊んでくれた記憶もあまりない。祖母とは不仲で子供の前で平然とケンカをし、悪口をいっていた。父は、出張がちでほとんど家にいなかった。家にいたとしても、パチンコにばかり行って不在。父の記憶はほとんどない。兄弟がいるが仲は、よくもわるくもないが、いなくてもいいと思ったこともある。親はどちらかと言うと妹を大切にしているのがあからさまだった。

 

そんな家庭で育った私は、自己肯定感が低い。

先生からは、感受性が強いと書かれていた。感受性が強いと疲れることも実際多いし、言葉にして意見を伝えるのは苦手で我慢することも多いかもしれない。

 

私は、親はみたいには、なりたくない。

反面教師だ。

息子のできたことも、できなかったことも受け止めて、一緒に分かち合って、一緒に育つ。

それが育児であり育自なのかな。

 

介護が必要になっても、自分よがりな毒親のことは、世話したくない。妹がすればいい。もし、私がしなければならなくなったら、それは、仕事として、きちんとお金をもらって、割り切ろう。

 

けど、母は母であのとき一生懸命だったんだなと思う。