デコボコ君とその母の日常

発達障害のある息子と日常と葛藤、母語録

世間一般との認識のずれ

発達障害児の子育ては、やっぱり難易度が高い。

 

最近のニュースでは、虐待されている子供に発達障害あって、母親が育児ノイローゼになって手をかけてしまったみたいなのが多い。

 

そう、発達障害児の子育ては、普通の子育てとは、まるっきり、違う。だから、周りの母親と話も合わなくなり、孤立や孤独を生み追い詰められることもある。

 

子も母も支援を求める必要があるが、子の支援はしてもらっても、母の支援までは行き届いていないのが現状だ。

 

今日は、息子の通院日で、最近の様子で、宿題に塗り絵があるのに、一部だけ塗って終わりにしてしまうことを相談した。

 

それは、息子が先生の指示を塗りたい分だけぬると認識していたためじゃないかと言われた。

 

普通は、塗り絵しておいてくださいって言われたら全部塗るよねー。例えば、くまさんは茶色で塗るよーとか説明してたら、ほかにも動物いても、くまさんだけに色を塗ればいいとしか認識できない。

普通は、くまさんぬったら、ほかの動物にも色を塗って提出するよねって話なんだけど。

 

あとは、縄跳びできない問題は、できるかできないかで見るんじゃなくて、本人がやる気になったり、出来ないことで悔しがってるときが、取り組むタイミングらしい。できると思ったり、できる見込みがないと取り組めないみたい。

 

普通の子みたいに先回りして事前に練習して、できるようにすることは、不可能に近い。

興味のない物事に取り組んだりはしない。

努力はできない。

 

特性があるから、きちんとしろ、がんばれ、努力しろ、怠けているって見られがち。だけど、そうじゃない。

 

健常児との認識の違いにしばしば、えっ!なんで?って思うこともあるけど、そこには認識のズレがあることを忘れずにいたいんだけど、忘れて普通の子育てしようとしてしまっている自分に通院して気づかされることは、多い。

 

認識がズレた視点を息子が持っていることを再確認することは、大事かなー。

 

きちんとしろ、がんばれ、努力しろ、怠けるなって、親としては、思うのが当たり前で、特性を理解した上で強要しないことをいつも念頭においておかないとな。

 

けど、どうしても、転ばぬ先の杖を用意しようとしてしまう親心が作動してしまうんだよなー。気をつけよ。

 

アーティスト、クリエイティブ系、オタクや研究者を育てたり、育ててる親も、きっと寛大なんだろうな。